設楽庵


予兆3 (東雲5)

(2008/04/05)
私は愚かな思考を捨て、皆に声を掛ける。
「今夜、この弟の為に、祝宴を設けようと思う。急ぎの用がある者はいるか?」
成人した弟妹達は私に頷いたが、幼い二人は赤子の弟を物珍しそうに眺め、それからどちらが先に抱くかで喧嘩になっていた。
「私が先に決まってるでしょ。こういうときは、年長者からっていう決まりなのよ」
「なんだよ、知ったふりして。自分だってこういうの初めてのくせに」
「あら、そんな事言ったって、私があなたのお姉さんであることに変わりはないのよ。お分かり?」
そう言うと彼女は、大きな手でぎこちなく弟を撫でていた兄から弟を抱き寄せた。
彼はそんな妹に圧倒され、何も言えないでいる。
「ギル、妹に圧倒されてどうする。こういう時は諭すのが兄の役目だろう」ユリオが面白そうに言う。
「だが、ミリアの言っている事は正しいわけで、その‥‥」
口下手で気の弱いは彼は、困ったように頭を掻いている。
「ギル兄さんは、いつでも僕の味方だよね」
兄の腕にすがりつく弟を見、ミリアは膨れ顔で彼を睨む。
「まぁ、あんたってばまた‥‥」
「ミリア、言葉遣いに気をつけなさい」ゼフィアがやんわりと嗜める。
「でもお姉さま、リケルったらまたギルお兄さまに甘えて‥‥」
「それはしょうがないよミリア。ギルはリケルには無条件で甘いんだから。可愛くてしょうがないのさ」
ユリオはまだ幼い彼女の肩に手を置き、耳元で優しく囁く。
「さあ、今や二人のお姉さんとなった黄昏の宮様は、むざむざ弟の挑発にのるのかい?それはあまり利口とはいえないな。ここは余裕を見せて、軽くあしらう様にしなきゃ。ついでに笑ってやればいい。あなたなんて幼いの、ってね」
「‥‥それもそうね。私、ちょっと冷静さを欠いていたわ‥‥」
「うん、それでこその君だ。これで一歩、素敵なゼフィアお姉さまに近づいたね」
「もちろんよ!」
彼女は満面の笑みで、大柄な兄に隠れている弟の前に行った。
「ごめんなさいリケル。私ったら大人げなくって。さあ、ジリオンを抱いてあげて。優しくね」
「うへぇ、気持ち悪い」彼は精一杯しかめ面をすると、兄を盾にまた喧嘩を始めた。
「いい加減になさい、弟の前で、恥ずかしいとは思わぬのか」
私は少し強めに言うと、父のほうに向き返り、
「申し訳ございません。役と君主の名を授けた者達がこの様に稚拙とは、お恥ずかしい限りでございます」と言った。
「よいではないか。その様に堅く考える事もあるまい。二人の森はまだ芽吹いたばかり。君主がかように威勢がよければ、木々もそれに続くであろう。そして何より、子供は元気なのが一番であろう」
父の目許が、笑みに緩む。
「まぁ、お父様は私を子供扱いなさるのですか」幼い線がまた、上気で赤く染まる。
「そうですね。それに、仔犬がじゃれ合うような姿を見るのは、私共としましても、大変面白うございますよ」ユリオはいたずらっぽい笑みを湛えている。
「お兄さま!」
ゼフィアは、弟妹達のやり取りを暖かな眼差しで見守っている。
私も勿論、その様子を見ている。
ただ、笑ってはいなかったと思う。

予兆3 (東雲4)

(2008/03/29)
「兄様、覗き見ですか?あまり上品な趣味とは言えませんね」
三番目の弟が生意気な調子で言う。
「そうではない。新しい弟の為、贈り物を用意していたのだ」
私は父に抱かれて眠る弟の元に行き、その前に腰を下ろす。
「そうよリケル。お兄様がそんな事なさるわけがないわ。そもそも、あなたにそんな事を言える資格があって?」二番目の妹、ミリアが呆れ顔で溜息をつく。
「何だって?僕が下品だとでもいうのか?」
姉に掴みかかろうとする彼を、二番目の弟ギルが肩に手を置いて制する。
歳が近いせいもあってか、この二人はいつもこの様な感じだ。
私は睨み合う幼い妹弟をやれやれ、という目で見ると、産まれたばかりの弟の前に右手をかざす。
「太母が遣わした我ら御子の一人に、私、東雲の御子より、祝福の言を贈らせて頂きます。貴方の健やかなる成長と、その背負いし役を立派に果たされますよう、お祈りし‥‥」
左手に掴んでいたペンダントを、そっと彼に握らせる。ちょんっとさわったその指は、とても柔らかく、無垢な波紋が私に広がった。私の尖った感情が、少しずつ丸くなっていく感じがした。
「貴方に、私が授かった愛と、私の護りを、お贈りいたします。ジリオン、おめでとう」
彼を抱き、額に接吻をする。
「エゼル、良いのか?それは‥‥」
「良いのです。私のその時は、終わったのですから」父の言葉を遮る。
「では、ゼフィア」私は傍らで静かに微笑んでいた一番目の妹に弟を預けた。
「お兄様、この子はジリオンと申すのですか?」彼女は気付いたようにに言った。
「そうです兄上。父上は先程、まだ名は授けていないと‥‥」一番目の弟ユリオも不思議がっている。
私は言葉に詰まり、曖昧に答えた。
母が、そう言っているのだ。彼女たちには聞こえていないようだった。
ただ、父だけが私を見、頷いている。
そういう、ことなのだろうか。
虹のすそに居る者は、その虹の存在に気付かない。遠くから観ているものだけが、その優美でほのかな曲線に感嘆し、心に留め置く。
私は、傍観者という役を背負って遣わされたのだ。
この弟は、一体どのような役を担っているのだろう。
彼に触れたときの感覚が妙に気になり、まさか、という思いが浮かび上がった。

予兆2 (東雲3)

(2008/03/28)
父の部屋の扉が少し開いていた。深い蒼の絨毯に、すっと光の筋が流れている。
内から再び笑い声が溢れたところで、私は取っ手に手を掛ける。
押し寄せる明るさの後に目に入る場景。
そして、私は固まってしまった。
昼下がりの緩やかな陽に満たされた部屋に、生成りの衣に身を包んだ五人の弟妹達。
父も同じような衣をまとい、肘掛け椅子に座っている。その父の、静かな眼差しの先には、私の最後の弟。柔らかな布に包まれ、眠っている。時折愛らしく父の指を握り、父はそれににっこりと微笑む。皆が見守る光喜の中、父祖の祝福を一身に受けている。
その、皆を包み込むように在る、煌く光の輪郭。
母、だった。
私は思わず、胸のペンダントを握った。
そこには、完成された光があった。如何なる穢れをも寄せ付けぬ、凛とした光輝。
私は後ずさりし、その場を去ろうとした。私にはとても、中に入る事はできない。
圧倒され、辱めらめ、そして無性にこの白いマントをかなぐり捨てたくなった。
己が理想とするものへの遠さ。
凝り固まった無能が、恥も知らず純白をまとう愚かさ。
そして、自分が失ってしまったもの、得られなかったものに触れたいという、稚拙な渇望。
堪え切れない感情の波に抗うように、己に言い聞かせる。
私は皆とは異質な存在。求められるのは冷徹さ。涙を流す脆さではない。
自らを律し、子供じみた行為を止めた。ペンダントを外し、左手に握る。
深い呼吸。顔を上げ、背筋を伸ばし、広い背をつくる。
己を整えたところで、私の気配に気付いたのか、内から声がかかる。
「エゼルかね?」耳に届く、心地よい振動。いつも穏やかで、私が幼い頃から変わらない、その声。
「はい、只今参上いたしました」私は抑制した、堅い声で返事をした。
「入りなさい」
私は軽く会釈をして、部屋に入った。

予兆1 (東雲2)

(2008/03/27)
「東雲様、お父様がお呼びでございます」侍従の一人が、扉の前で頭を垂れている。
「産まれたのか」私は執務の手を止め、彼女に尋ねた。
「左様でございます。他の方々も、既に集まっておられます。どうぞ、お支度を」
「分かった、すぐに参る。そなたは下がりなさい」
彼女はそのまま廊下に出、扉を閉めた。
彼は机に筆記具をしまい、傍に掛けてあった白いマントを被る。
元々、これは父のものであった。幾年か前、私がその跡を引き継いだ時、共に渡されたものだ。
華美な装飾を嫌った父は、人々と同じ布をまとう事を好んだ。ゆえにこの衣も、質素なものだった。
父は、いつも正しい、と思う。
彼の行為の一つ一つには、深く温かな想いを感じる。
そんな事を考えながら、身なりを整えるために、鏡に向き合う。
このマントを被ると、幼い頃に見上げた父にそっくりだ。
それが誇らしくもあり、同時にそれが足枷となる。私にはいい戒めとなろう。
ふと、手が止まる。何か背後に気配を感じたのだ。
振り返るが、何もいない。気のせいだったのだろうか。
彼は支度を終えると、部屋を出た。

恐らく、この弟で最後になるだろう。彼は漠然とした、しかし確信に近い念を抱いていた。
何故なら、もう母の意識が日に日に薄れていっているからだ。
あの方は、どんどん大地に沈んでいっている。お会いできることは、もうないだろう。
それを悲しんではならない、と東雲の君は思う。
“管理”という役を授かった彼に、むしろそれは喜ぶべき事であるからだ。
彼女が大地となることは、すなわち世界の安定を意味する。
そんな母が残した、最後の弟。私は彼に、何をしてやれるだろう。
中庭を巡る回廊から、屋敷の奥へと続く仄暗い廊下へと進んでいく。

と、その奥から、不意に明るい笑い声が聞こえてきた。

私信

(2008/03/25)
貴女からの別れの電話を受けてから、そろそろ1年経つ。
最近、如何お過ごしですか?

思えば、僕達は、人生でも大変な時期を、
互いに支え合って生きていた。
一人では、辛くて、寂しくて、どうしようもない時に、
相手の手をぎゅっと握って、必死に耐えていたんだ。

駅のホーム。
突然動けなくなってしまった君と二人、
忙しなく歩く人々をただ見つめていた。

僕の何気ない言動で君は深く傷つき、
後ろも振り向かず、走り去ってしまう事もあった。

君の傷だらけの細い腕を見て、思ったんだ。
この長い時間が、一体いつまで続くのだろう、と。

でも、君のお蔭で、僕は人を愛する事を知った。
慈しみ、見守り、そっと手を差し伸べる事を知ったんだ。

君は、いつも"ありがとう、ごめんね"を繰り返していたけれど、
僕もね、君に救われていたんだよ。
すぐ殻に閉じこもってしまう僕に向かって、
"大丈夫?"と言ってくれた君は、
とても温かかった。
いつだって、泣いてしまいそうな程、
嬉しかったんだ。

君となら、ずっと一緒に居られる、ずっと一緒に居たい、
そう思っていた。

でもきっと、僕達は近くに寄り過ぎてしまったんだ。
君と僕は、恋人であり、友達であり、そして家族だった。
ソウルメイト、と君は言ったね。
そう、僕達はもう、離れられないほどに、一つになってしまっていたんだ。
だから、そこに居るのが、当たり前になってしまったんだね。

君は、いつも不安だと言っていた。
僕が何を考えているのか分からない、と。
僕も、いつも戸惑っていた。
次第に元気を取り戻し、女性としての幸せを求め始めていた君に。
そして、それに答えられない僕に。
僕は、僕の役目が終わってしまったのかもしれない、
そんな事ばかり考えていた。

それから、しばらくして、僕は、僕の問題と向き合ってしまった。
友達だった彼を、好きになってしまったんだ。
僕にはない、男性としての完璧さをもつ彼に、
憧れていたのかもしれないな。

そして、僕は選んでしまった。
友達としての君を。
家族としての君を。
恋人である、君を残して。

電話先で、身勝手に泣いている僕に、
君はいつもと同じように"大丈夫?"と言ってくれた。
僕は、甘えていたんだ。
この人だけは、僕の傍に居てくれると。
傷つきながらも、必死に僕を慰める君を知っておきながら。
最低だ。

それから、1年後の春、君からの電話を受けた。
分かっていた。
分かっていたけど、苦しくて、悲しかった。
でも、嬉しかったのも、本当なんだ。
街で踞ってしまっていた君が、
社会に出て働き、
そして好きな人を見つけたんだ。
よく頑張ったね。おめでとう。
心から、そう思ったんだよ。

最後に君は、僕に言ったんだ。
これからも友達でいよう、と。
私達は、もう離れられない。
誰も、お互いの穴を埋めることはできない。
貴方は、私が愛したたった一人の人だから、と。

だけど、ごめんね。
僕は、そんな優しい君の手を、振り払ってしまった。
どうしてだろう。
もうこれ以上、君の人生を邪魔したくないと思ったから?
君に甘える資格はない、と思ったから?
それとも、単に、今君の横にいる人に、嫉妬したのかな。

多分、どれも違う。
きっと、君を傍で見ていられなかったんだ。
結婚して、子供を産んで、
そんな未来を描いている君が、
とても眩しくて、
羨ましくて、
耐えられなかったんだ。

憎んでしまえば、どんなに楽だったろうか。
でも、そんな資格ないと分かっていたし、
何より、君を憎むなんて事、できなかった。
今までありがとう、本当によかったね、という言葉ばかり出てきて、
僕は、ぐちゃぐちゃになってしまった。

それから、
また1年が経った。
満開の桜の前で、黒地にピンクの花びらが散らされた着物を着た、
君の写真を見つけたよ。
もう、日本では、桜が咲いているんだよね。
こちらはまだまだ寒くて、
昨日も雪がちらついていました。
日本の春の、穏やかで、でも何だか忙しない雰囲気が懐かしい。
何年も見ていないと、忘れてしまうからね。

そうそう、僕にも、新しい人が出来ました。
僕より背が高くて、広い背中の人。
ちょっと垂れた、優しい目。
笑うと、長い間に刻まれてきた皺が浮かび上がって、
"もう若くないんだから勘弁してよ"って僕を抱きしめてくれる人。
立派な大人の男の人なに、
僕がイギリスに帰る時に、寂しくなって泣いてしまう人。
まだ出会って1年も経たないけれど、
僕の大切な人です。

もう、お互いの姿は遠くて見えないけれど、
僕も、君の幸せを祈っています。

それじゃ、ばいばい。